《所長あいさつ》 田島診療所 所長 千住典男
このこととリンクするように、今年4月から後期高齢者の医療制度が導入され、新たな諸問題が噴出し、高齢者の不安がますます広がっております。 私たちは「地域で生活と暮らし、健康をみんなで支えあう医療生協をめざそう」とのスローガンの下に、24時間の往診・訪問診療・訪問看護態勢をとっておりますが、マンパワー、財政の面からも未だ十分とは言えません。私自身、もの忘れ外来を行っております。動機は、親が認知症であるがためです。 認知症には、中核症状と周辺症状といわれる症状があり、日常生活に支障をきたすのは主に周辺症状です。中核症状には、記憶障害(新しいことを覚えられない)、実行機能障害(段取りが立てられない)、失認(ものが何かわからない)、失語(ものの名前が出てこない)があり、また周辺症状には徘徊、暴言、暴行、介護への抵抗、不安、イライラ感、抑うつ、妄想、幻覚、睡眠および覚醒障害があります。ただし、症状の出現は、個々の認知症の患者さんにより異なります。重要な点は、認知症の人たちは悩んでいないように見えますが、たいへん悩んでおり、また苦しんでないようで、苦しんでおります。認知症の患者さんは、自分の意思を相手に十分に伝えることができない、上手に言えない、感情表現が下手です。この現れは徘徊であり、介護への抵抗です。現在65歳以上の認知症の人は20人に1人であり、誰でも認知症になる可能性があります。明日は我が身なのです。 不安や悩み多い世の中なのですが、ひまわり医療生協は、みんなで支えあおうという医療スタッフがそろっています。 外来では新しく内科医の内藤先生が加わり、ガンの早期発見率が高くなり、より充実しました。整形外科の分野では、東京から来られている三橋先生によるAKA療法(関節運動学的アプローチ)、大阪からは小児整形外科の第一人者である北野先生と多彩なスタッフです。三橋先生のAKA療法の人気が広まり、予約がいっぱいです。そして、診療所開設時から来ていただいている、田島先生の盟友、前田先生(脳神経外科)。脳梗塞や脳出血の後遺症患者さんの音楽療法の権威で、その診断の的確さを、生前、田島先生はいつも感心しておられました。 いま、若い世代は、将来に対して見えない不安感、誰とも話す機会と居場所がない孤立、孤独感。老いた世代は、病気、健康に対しての明日が見えない不安感。寝たきりの病人、認知症、障害者を持っている家族は明日、明後日の介護、看取りへの不安感。このような人たちに対して、私たちひまわり医療生協がいかに関わるか。 私の考えは、他種、他業を含め、地域の人たちと十分なコミュニケーションをとり、みんなで考え、不安感を少しでも取り除く場を形成することが必要と思っており、このためにもみなさんのご協力をお願いいたします。さあ、みんなでワイワイガヤガヤと話しましょう。 2008年7月1日
田島診療所 所長 千住典男
私は、このたび、田島先生の後任として、新たに所長に就任しました千住です。1978年関西医科大学を卒業し、同大学附属香里病院第2内科で研修し、その後数ヵ所の病院、診療所に入職し、今日に至っております。 田島先生との関わりは、先生の友人で、私の大学の先輩でもある、京都の永原宏道先生を通じて始まりました。1969年、佐世保市での空母エンタープライズ入港反対集会で機動隊に追いかけられたときのことですが、田島先生の逃げ足の速かったことを今でも鮮明に覚えております。 10余年後、永原先生の診療所で、田島先生と再び会う機会を得ました。そのときの、じっくりと人の意見を聴き、的確なアドバイスをし、一度決めたら躊躇することなく、前に進む姿はさすがと言うほかはありませんでした。 そして、3年前、私は田島診療所の常勤医師として勤務することになりました。田島診療所では、在宅医療を中心に、じん肺、アスベスト問題、また、認知症に関わってまいりました。今後も、訪問診療・訪問看護の更なる充実、そして田島先生のライフワークであった労災・職業病への取り組みの継続を目指します。 田島先生に、安心して天国への階段を登って行っていただくためにも、全職員が心をひとつにして、目標に向かって進んで行く姿勢を示す必要があると思います。 幸い、非常勤の4名の先生方も、それぞれ、主たる勤務先で中心的な役割を担われ、ご多忙にもかかわらず、田島診療所のために診療数を増やしていただくなど、ご助力いただき、整形外科の診療態勢も、十分とは言えないまでも整ってきました。 田島先生の遺志を受け継ぐという意味で「田島診療所」の名称は変わりません。今後も、地域の皆さん、労災・職業病の患者さん達と共に、「地域で生活と暮らし、健康をみんなで支えあう医療生協」を目指して頑張ります。どうぞ、よろしくお願いいたします。 2006年9月1日
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