◆◆◆【アルデンヌの旅】◆◆◆

  2013年9月から10月にかけ、ベルギー南部・ルクセンブルグ・フランス北部を回ってきました。三国にまたがるアルデンヌ山地周辺の地方です。  パリ・ドゴール空港に早朝到着し、空港から高速鉄道TGVでフランス北部のリールへ。平原を快適に走る窓外は朝霧に浮かぶ村々の教会の尖塔が幻想的です。 寒々とした晩秋のようなリール駅前には見慣れた水玉模様の大きなチューリップのオブジェが目に入ります。草間彌生の作品でした。 彼女の作品の単純明確さが世界的評価を受けているのでしょうか。 リールからローカル線に乗換えてしばらく走ると、列車はいつの間にか国境を越えベルギーのモンスに到着。 本来は落ち着きのある町なのですが、駅の大々的な工事など騒音が多くちょっと残念でした。 でも中世の鐘楼が高くそびえる丘から眺めると豊かな森に囲まれた町の姿は美しいものでした。  モンスから次の目的地ナミュールに向かうにつれ、山がちの風景となります。アルデンヌ山地に入ってきたのでしょう。 ナミュールはフランスから流れるムーズ川と支流の合流点に開かれた中世の面影が強く残る町です。 小高いシタデル(城塞)からは瓦屋根の連なる街並みが手に取るように見えます。 ちょうど土曜市の立つ日だったので町の中心部は野菜、チーズ、ハム、パンなどを売る露店がずらりと並び人々の生活が垣間見られます。 内装の美しいイエズス会の聖ルー教会では夕暮れコンサートが行われ、バッハなどバロック音楽を地元の人たちと楽しむことができました。 手軽にクラシックに接することができるのはうれしいことです。たまたまドイツの芸術家、ディクスとグロッスの版画展をやっていたので見ました。 第一次大戦の残酷さ、ドイツの階級社会への風刺など人間の愚かしさを訴える見ごたえのある作品群でした。 この町も第一次大戦では大きな被害を受けたそうでその当時の写真の展示もありました。


【ナミュールの街並み】
ナミュールからムーズ川に沿って南部最大の都市リエージュへ。沿線は工業地帯ですが、今は廃工場も目につきます。 この町はナミュールよりも近代化が進んでいますが、近世までリエージュ大司教国として独立性を保ち、政教一致を貫いてきたそうです。 歴史博物館では当時の壮大なサン・ランベール教会の模型が展示されていましたが、フランス革命の嵐により徹底的に破壊され、今は跡形もなく広場となっています。 パリのノートルダム寺院も大きな被害を受けたと聞きますが、フランス革命の「反カトリック」の熱情がうかがわれるものです。 この町にはワロン生活博物館があり、ベルギー南部の今昔の生活や産業の展示がされています。 ベルギーは南部ワロン地域(フランス語共同体と一部ドイツ語共同体を含む)と、 北部フランデレン(フランドル)地域(オランダ語共同体)そしてオランダ語とフランス語両言語のブリュッセル地域に分かれます。 1830年の独立以来フランス語優位で進んできたこの国も経済状況の変化(南部の衰退、北部の成長)により、 「言語戦争」を重ねて1993年から連邦国家としてやっと統一を保っています。しかし経済力のある北部の分離独立の運動は根強いものがあります。 リエージュから列車はアルデンヌ山地を縫ってそのままルクセンブルクに入っていきます。車掌の服装の違いで国境を越えたとわかるぐらいです。 ルクセンブルクは神奈川県ぐらいの面積で人口は50万余、そのうち40%以上が外国人、主産業である鉄鋼業、金融業そしてEU職員などです。 現状はごく小さな国ですが、中世のころは隆盛を誇り、神聖ローマ帝国の皇帝を輩出するほどの力もありましたが、その後ドイツ、フランスの両大国、 ベルギーとの複雑な歴史過程の中で周辺の国に領土を割譲しようやく独立を保ってきたのが実情です。 第1次、第2次世界大戦と2回ともドイツの侵略を受けているように大国の動向はこの国の生命線でもあり、必然的に外交に尽力することになります。 EUの前身欧州石炭鉄鋼共同体結成時からこの国は大きな役割を占めているようです。


【渓谷に立ち並ぶ家々とルクセンブルク市の城壁】
首都ルクセンブルクは崖に守られた要塞都市で、今もその面影を残す町は世界遺産となっています。 駅から延びる近代的な道路が渓谷をわたる橋にさしかかると、旧市街にそびえるノートルダム大聖堂が見え、町を囲む強固な城壁も目に入ります。 でもナミュールで感じたような優しさと違う厳めしさのようなものを感じてしまいます。それで町の見物はそこそこに郊外へバスで出ることにしました。 森、牧場、村々を抜け1時間ほど(これで料金はたったの2ユーロ)でドイツ国境の町エステルナッハに到着。 古い教会を中心としたこじんまりした町で小さな川の向こうはドイツです。 数十mの橋を歩いて渡ると「ドイツ連邦共和国」の標示はあるものの監視員がいるわけでもなく拍子抜けです。 しばらくドイツ側の村を散策し再びエステルナッハに戻りますが、「国境」というイメージとは程遠く、せいぜい府県境ぐらいの感覚です。 橋のたもとには今は使われていない検問所らしき建物が残るだけです。 しかし両大戦ではおそらくこの橋を通ってドイツの軍靴、戦車が侵入したであろうと思うと感慨深いものがあります。


【ルクセンブルク・ドイツ国境の橋】
シェンゲン条約加盟国の国境がこのように相対化し、統合の動きが目を見張るほどである一方で、ベルギーでは言語線を基にした分離の動きも盛んです。 EU拡大と同時にユーゴ解体、チェコスロバキア分離などの動きが並行して進むように、「統合と分離」が同時に進んでいるのがこの地域を見ただけでも感じることができます。 ふたたびフランスへ。ロレーヌ地方のメッスです。ロレーヌは1871年の普仏戦争から第1次大戦までドイツ領だったように時代により帰属がたびたび変わったところです。 「ドイツ人の門」と呼ばれる中世の城門もあり、街のあちこちにドイツ時代の建物が残っています。 町を流れるモーゼル川がライン水系であることからドイツ方面とのつながりがもともと強かったのでしょう。 この町に寄った主目的はポンピドーセンター分館でした。近現代美術の宝庫の分館だからいい作品が見られるだろうという期待からですが、これはちょっと期待はずれでした。 でもドイツ人ダダイストであるリヒターの展示はそれなりに楽しめたし、好きな画家カンディンスキーの絵も数点見られたのが救いでした。 また特別展として「上空から見た地球、都市の姿」という展示があり、自然の意外な風景や第1次大戦による都市破壊を気球から撮影したフィルム、 第2次大戦末期のドレスデン空爆の惨状を経て、最後は広島の被爆前と被爆後の上空写真を並べる展示となっていたように文明の意味を問うものであったように思います。 メッスはステンドグラスでも有名です。大聖堂にはシャガールの作品もあり、彼独特の色彩が鮮やかです。 ジャン・コクトーの手掛けた作品のある教会もあり、ステンドグラスを見て歩くだけでも十分楽しめる町です。


【シャガールのステンドグラス】
メッスからパリまでTGVで一直線。パリではマルモッタン美術館で「印象派」のいわれとなったモネの「印象―日の出」を初めて見たのが収穫でした。 今回回ったところは狭い範囲ですが、ドイツ、フランス、海を挟んでイギリスに囲まれたいわば「ヨーロッパの心臓部」であり、ヨーロッパの歴史が凝縮しており、 見ごたえもあり、いろいろ考えさせてもくれる旅でした。


旅の期間 2013年9月〜10月
土代 武 記


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