『朝日新聞 2013年1月24日夕刊』


在日・康さん再審無罪/ソウル高裁「スパイ」元死刑囚
 韓国が独裁政権下にあった1970年代半ば、ソウル大に留学中に「北朝鮮のスパイ」として逮捕され、死刑判決を受けた在日韓国人2世の康宗憲(カンジョンホン)さん(61)=京都市=に対する再審で、ソウル高裁は24日、無罪とする判決を言い渡した。
 韓国の民主化前の70〜80年代に政治犯として投獄された在日韓国人に対する再審での無罪判決が相次いでいるが、元死刑囚が無罪になったのは初めて。
 崔圭弘(チェギュホン)裁判長は、当時の取り調べが、令状なしに不法に長期間拘束したうえ、過酷な拷問で自白させたものと認定し、「脅迫による自白は、証拠として認められない」と指摘した。康さんは判決後、「真実が明らかになり、うれしい。長かった。苦しかった」と述べた。軍事政権下で政治犯として投獄され、韓国の司法に再審を求めている在日韓国人は少なくない。康さんは「死刑囚だった私が無罪になった。(今回の判決が)多くの仲間の無念が解消されるきっかけになってほしい」とも語った。
 康さんは朴正煕(パクチョンヒ)政権下、「北朝鮮の指示で地下組織を作ろうとした」として国家保安法違反の罪で死刑判決を受けた。日本など国際人権団体の救援活動もあり、84年には懲役20年まで減刑されたが、民主化後の88年に大統領特赦で「仮釈放」されるまでの約13年間、獄中で過ごした。
 その後、盧武鉉(ノムヒョン)政権が始めた独裁政権下の政治事件に対する真相究明作業を機に、在日の元政治犯に対する再審が決定。康さんの再審は昨年3月に始まった。法廷では当時の取り調べで電気や水を使った拷問を繰り返し受けたことや、死刑囚となった後も約6年、獄中でも手錠をかけられたままだったことを明かした。(ソウル=中野晃)

生涯かけ取り戻した尊厳
 死刑確定から36年。康さんの生涯をかけた闘いにようやく光が差した。
 「ただ一つの願いは、真実を明らかにすることで人間としての尊厳を取り戻すことでした」
 康さんは再審の最終陳述でこう述べていた。原審では否認すると後で拷問を受け、自暴自棄になって闘えなかったことに後悔がある。
 スパイ容疑をかけられ一審で死刑判決を言い渡されたのは76年7月。24歳の時だった。翌77年に死刑が確定し、37歳で仮釈放された時、「輝くべき青春時代」は過ぎていた。
 のちに朝鮮半島情勢を分析する研究所を設立し、大学教員に。スパイとされた在日韓国人が2010年に再審無罪となったのを機に、自らも再審を請求した。
 康さんは、在外国民の投票権が初めて認められた12年4月の韓国総選挙に在日で唯一、立候補した。野党の比例代表候補で落選したが、母国に在日への関心を強めてほしい、と訴えた。
 ところが、同じ獄舎にいた男性が再審に出廷し、「北朝鮮に渡り、朝鮮労働党員になったと言っていた」「現役のスパイだ」と主張した。メディアやネット世論は、釈放後に訪朝経験のある康さんに「北の指令で政界に進出しようとした」と批判を浴びせた。
 「昔の事件を裁くはずが、今の私をまた根拠もなく裁こうとしている」。悲しみがこみ上げた。「あなたは何も恥じることはしていない」。妻(60)の言葉が支えだった。
 康さんが政治犯に問われたのは、民主化運動を弾圧した軍事独裁の朴正煕政権下だった。民主化を遂げた韓国では長女の朴槿恵(パククネ)氏が大統領に就く。
 「因果なものだが、朴槿恵氏は父の時代の被害者に謝罪を述べている。多くの犠牲から生まれた韓国の民主主義の発展を私は信じている」
 スパイ冤罪(えんざい)を訴える元学生らでつくる「在日韓国人良心囚の名誉回復を求める会」によると、これまでに30人以上が再審を請求し、1月現在で10人の無罪が確定している。(多知川節子)