被災地移動支援(熊本)レポート
22016.7.7~7.8
移動ネットおかやま・中村守勝

■ 7月7(木):
 事前に、柿久保さんと電話で話をしていて、「身障者福祉センター」の避難所が6月末日で閉鎖されたことから、移動支援に関して、それほど忙しくないとのことであったが、柿久保さんと会って、話をすることも必要だと思い、昼ころに熊本駅に着く。熊本駅から市電で、辛島駅で降りて、バスセンターから、市バスで身障者福祉センターまで行って、「ふくし生協」にいる柿久保さんを待つことにした。取り敢えず、移動支援の拠点を小出さんの職場である「ふくし生協」にしているとのことであった。熊本市内では、電動車いすの人を2人見かけた。また、バスでは、多分無料パスを使っている高齢者や知的障がいと思える人を見かけた。熊本は、バスや市電が、頻繁に来ることもあり、利用する人が多い。
 身障者センターで車いすに乗った人と話をしていると、柿久保さんたちが到着して、私はもう
1台の大阪から来た大山さんの車で、宿舎に送っていただいた。大山さんは八代市出身で、熊本の地震は他人ごとではなく、今までにも何回もボランティアで来ていて、被害を受けた家の裏の土砂を運び出したり、一般の家の片づけを手伝ったりしたとのことで、定年退職後に柿久保さんたちの事業所「パーティ・パーティ」で、週3日のアルバイトをしている。
 
18時の飛行機で大阪に帰るという柿久保さんと、短い時間であったが話ができた。身障者センターの避難所が閉鎖されて、被災された方がそれぞれの場所に移り住んだことと、仮設住宅が建設されていて、入居が始まっているということで、今後は、地元の人々が中心となって、移動支援を行っていけるように、支援していくべき時に来ているということでした。自分たちが中心となって運営を行う移動支援は、6月中に予約が入っていた明日(7/8)までで、一旦中止にするということであった。
 これは熊本地震の被害が、局地的なもので、益城町や西原村は全体的に壊滅的な被害を受けていたが、熊本市内は余震は続いているものの、一部の住居やビルを除いて、日常生活が営まれ始めている。そういうこともあって、柿久保さん的には、「小出さん」や「被災地障がい者センター」に、下駄を預けたという感じであった。
 柿久保さんが帰られた後、
20時ころに福田さんが宿舎に到着された。取り敢えず、柿久保さんと福田さんが交代で熊本に来て、どうしても必要な2~3人の方の送迎をしながら、今後の支援の在り方を、小出さんたちと話し合うとのこと。
 
7月8
(金):
 今日の予定は
2名で、私は、身障者センターの避難所から、公務員住宅の空き部屋に、みなし仮設として移られた方の通院依頼であった。昨夜からの雨が続いていて、朝8時に公務員住宅に迎えに行ってから、病院に送って、宿舎で待機する。11時ころに連絡が入り、病院まで迎えに行く、両足が腫れているので、整骨院まで送る。整骨院の近くで1時間ほど待機して、買い物に薬局とスーパーを併せ持つコスモスに行く。偶然であるが、コスモスの向かいの公園に仮設住宅ができていた。このような、日用品が買える店の近くに仮設住宅があれば、なんとか暮らして行けるだろうが、学校も病院もスーパーもない、テクノ団地のような場所に500戸もの仮設住宅を造っても、100軒が辞退したという結果になる。
 買い物が終わり、再び公務員住宅に送る。公務員住宅は建築年数がかなり昔で、
1階に住んでおられるが、手すりのない階段を4段ほど上がり、更に5段くらい上がったところに部屋がある。階段を上がるときには、「ふくし生協」で借りた短い杖を2本両手に持って上がり、上で私が脇の下に手を入れて、少し引き上げる。
 足が痛くて杖がないと歩けない方であるが、手すりのない階段は、短い杖がないと上れない。階段を下りるときは、仕切りの壁を伝ったり、柵を持ったりして下りられる。車いすは、使わないけれど、状況によって介助が必要で、買い物をしたときは、荷物を持って、階段を上がれない。
 色々と病気を抱えながら生きておられるようで、今月半ばに検査入院をするとのことで、その時の送迎を「福田さんにお願いをしている」とのことであった。このような個々のケースも合わせて、今後どのように移動支援を行うのか、話し合っていかなければならない。

 被災された方は、日常を取り戻すことは困難な道程で、時間もかかる。被災地の被害の状況は様々で、大切なものをすべてなくされた方、住居をなくされた方、家具を片づけて暮らすことができる方。家は大丈夫だったが、まだ怖くて、外で暮らしている方。怖くて住めないため、他に移って行かれた方。避難所から、仮設住宅やみなし仮設住宅に移られた方等々。みなさん新たな場所で、不自由さを抱えながら、生活再建を図ることになる。
 先月、来た時にはまったく見られなかったが、今回は、熊本市内で、屋根を修繕している家と壁を修繕しているビルがあった。本当は、梅雨前にと思っておられ、せめて台風シーズン前にと思っておられるだろうが、大規模な災害では、家の修繕さえ手が付けられないままになっている。震災から
3か月が経ち、徐々にではあるが、家の修繕がなされてきている。被災地の復興は、それぞれの住居が再建されて、その場所で、安心して暮らせるようになることである。