“ももくり送迎基金”のコーディネーションについて
2016.6.266.30
日常生活支援ネットワーク 椎名保友

「福祉のことも熊本のこともよくわからないが、移動手段がなくて生活困ってる人がいるのなら運転の応援やってもいいよ」という人が、“ももくり送迎基金”の活動に参加することは可能なのか?
 今回、
6月26日(日)~6月30日(木)に、熊本で福祉車両での移動送迎応援活動に参加させていただきました。
 初日、夕方に帰阪する柿久保さんより、ここ数日の依頼確認と車両の扱い(車いすのストッパーなど)や、次の日に依頼されている道を走ってみることで、熊本市街地での運転を実感してみるなどの引継ぎを受けました。


【ももくり送迎基金の活動とは】
 
阪神淡路大震災から2000年代の石川や中越地震、東日本大震災やこの数年の各地での水害を通じ、もちろん引き継がれず繰り返される悪例もありますが、この10数年で大規模災害への救援活動、応援活動のやり方も、様々な視点から提言・実行がなされるようになりました。

 僕は、被災者・被災地支援を勝手な解釈で「地域・地縁を支えるコミュニティ型支援」「対象を特化したテーマ型支援」「技術や機材、知識、経験を投入するツール提供型支援」の
3つに分けています。

 「地域・地縁を支えるコミュニティ型支援」(以下、コミュニティ型)は、従来の自分が住んでいる地域の避難所で、地縁を軸とした避難生活への応援。行政機関や地元社会福祉協議会などが窓口になり、全国からも多くのボランティアが駆けつける。
 余談になりますが、災害が起きると、公的に決められた「○○市」という区切りと、住民たちの生活にある区切りのギャップがあり、年々古い地区のことがわかる支援職が減っていることが支援の現状課題につながっているということを阪神淡路大震災以降、20年間コミュニティ型支援に取り組んでいる方から、最近教わりました。

 1950年代の昭和の大合併や、昨今の平成の大合併の影響から、住んでいる人にとっての地域というものが、支援側にとって現在の地図だけを見ていてもわからないものになっています。また大合併の目的が心情ではなく、財源というテーマであったことも災害時の地域格差などの弊害にもつながっているのではないでしょうか。

 世間からの意識が少しづつではありますが増しているのが「対象を特化したテーマ型支援」(以下、テーマ型)。
 これは私が所属する<障害者の地域での生活>という分野が最たるものです。従来の「コミュニティ型」から漏れる人たち。障害があるが故に地域避難所で過ごすことが厳しい。
 災害発災時でも、障害や加齢などから足が悪いとか、いまどうすればいいのかわからない人には避難することにハンディもありますが、よりハンディが濃くなるのが避難後の生活です。
 避難所でのことだけではなく、介助を使うことや仮設住宅に入るためのことでも、理不尽な課題・難題が溢れています。
 私の周辺の大阪の諸団体をはじめ全国各地で障害者の地域生活にかかわる組織からも、数多くの職員が今回の熊本地震で立ち上がった「被災地障害者センターくまもと」や、災害時に避難場所となった「熊本学園大学」に応援に入っています。
 また福祉避難所を担った「熊本県身体障がい者福祉センター」(以下、身障センター)には、全国から障害者福祉施設の職員が運営ボランティアとして活動されています。
 また医療従事者や相談支援従事者も各々の専門性を活かし、被災者への活動に取り組まれています。

 さて、前述の医療従事者や相談支援従事者にも近いかたちではありますが、「ももくり送迎基金」の活動はどうなのか? 僕の解釈では「技術や機材、知識、経験を投入するツール提供型支援」(以下、ツール型)になります。
 もちろん一番の思いは、災害時により後回しにされがちな障害者の支援であり、災害下、心身の状態から移動することが困難な人たちへの応援であります。
 福祉車両などを被災地に持ち込み、そこで出来ることをするのが「ももくり送迎基金」です。あなたは「○○村の人じゃないから」や「○○の所属ではないから」、「(障害者じゃなくて)高齢者やこどもだから」とかかわる人たちを区分けするのではないのが、「テーマ型」の特徴です。当たり前のようで案外そうではない被災地支援の流れのなかで、「コミュニティ型」や「テーマ型」を横断する「ツール型」の役割が、今後意味を持つのではと僕は思っています。
 「ももくり送迎基金」は、あくまでも送迎というツールに特化した被災地支援。
 もちろん車の台数や応援してくれる人の数、活動できる期間など出来ることしか出来ません。

【ももくり送迎基金のコーディネーションとは】
 そのなかでの大きな役割に<コーディネーション>があります。
 熊本地震支援では、主に福田悠介さんが大阪から入り、コーディネーションを地元の人たちや、生活の事情、他の支援機関と丁寧なやりとりを重ねながら、行われております。
 福田さんが帰阪しているときは、柿久保さんが熊本に滞在しています。

 さて今回、私が入ったなかで、初日夕方から2日目、3日目は柿久保・福田両氏が不在でしたので、事前に組まれていた定期の送迎だけではなく、電話を受け、その返事や対応もしました。
 電話を受けたあと、過去の依頼を数週間分確認したり、地図で確認したり、他の依頼を想定しながらの対応を僅かにしましたが、福田さんが培った信頼関係の上でしたので、どうにか3日目晩に来た福田さんに引き継ぐことができました。

 “0”からつくっていきながらも、週間ごとの展望も見据えるコーディネーション。希望される方々も生活や事情もあるなかで、やりとりを積み重ねていくことの難しさを痛感しました。
 公共交通機関も本数や不通などもあるが、あることはある。介護タクシー会社も福祉事業もあります。しかしなぜ「ももくり送迎基金」が必要なのだろうかと、ふと考えました。

 また熊本での私の活動のふりかえりとなります。
6月末に「身障センター」の福祉避難所が閉じられるということで、コーディネーションをされている、全国移動ネット理事でふくし生協の小出さんからのご依頼で、帰宅や団地への引っ越しのお手伝いをボランティアの人たちが同乗し、一緒に行いました。ちなみに6月27日から4日間降り続ける豪雨で、地域によっては川が決壊したり、避難勧告が出ていました。
 一緒に行ったボランティアは、社会福祉協議会が運営する障害者支援の職員でした。
 地元で災害が起こった時に、自分の職務として何ができるのか。また高齢とか障害もいろんな方が避難所に来られているなかで、どうかかわるのか。同じ福祉職というベースがある前提ですが、地方や職種が違う人たちといろんな話しができたことも、いい経験となりました。
 これは夕方のミーティングに参加させていただいた「被災地障害者センターくまもと」で出会う人たちとも同様でした。

 冒頭の「被災地で何か出来ますか?」という問い合わせを受けた場合は、どうなのでしょうか? 災害発生直後での返答と日頃に声かけられる場合の返答では、内容は変わると思いますが、被災者被災地支援のなかでも障害者支援や福祉避難所という「テーマ型」や、その仕方のひとつとしての「ツール型」にかかわってもいいという人が、これから増えていくと思います。
 似たような職種や価値観の人が集まれば、確かに機能的だと思います。
 しかし数や可能性を考えていくと、いろんな要素な方々が集まってくれることも大切だと思います。
 災害時だけではなく、日頃からいろんな人たちと被災地移動困難者送迎支援のことを話すことや、なかでも関心ある人にはアプローチをかけていくこともできると、いざというときに「ももくり送迎基金」の活動がより発揮しやすくなるのではと、勝手ながら感じました。

 最後は主観ばかりなりましたが、多くの人に「ももくり送迎基金」の活動に触れてほしいです。この活動が一般化していくのか専門化していくのかわかりませんが、日常からの知識や価値観を共有するための定期的な勉強会などは、やってほしいなと。
2016年7月6日)