《第18回 東大阪国際交流フェスティバル》
雨空を見上げながら、
改めて多文化共生を考えた
東大阪国際交流フェスティバル実行委員会 西山 健一郎
 

 18年目で、初めて雨に悩まされた第18回の東大阪国際交流フェスティバル。特に舞台の「キャラメルキッズ関西」「東大阪朝鮮初級学校器楽部」「りゅうりゅうフルス吹奏楽団」「成美高校中国文化春暁倶楽部」「コーラス・ムグンファ」「うりそだん」の皆さん。雨で、せっかくの演奏や歌など、日ごろの練習の成果が十分発揮できなかったのではありませんか? 皆さんの残念な思いを、すべての参加者で共有したいですね。雨空を見上げながら、「今日の舞台、演技ができず、少し残念です……」という成美高校の青年の声が胸に響きます。
 舞台は民族の心が込められて、作り上げられるものです。多くの舞台プログラムからなる東大阪の多文化共生という入れ物、その中から今回はポツンといくつかが抜け落ちてしまいました。その抜け落ちてしまったピースのことを改めて考えていると、多文化共生社会とはどのようなものであるのか、そんな考えが頭に浮かびます。
一つの社会の内部において複数の文化の共有を是とし、文化の共存がもたらすプラス面を背局的に評価しようとする主張ないしは運動」(梶田孝道『国際社会学』日本放送出版界1995)というのが、多文化共生の概念だそうです。しかし、日本人のなかには複数の少数民族を受け入れたり、受け入れたとしても民族間で紛争がなくならないという認識があるとの、専門家の指摘があります。だからこそ「共生」という言葉が用いられ、紛争なく共存しているという理念が込められているそうです
 ヘイトスピーチやアジアの国々への偏狭なナショナリズム、他者に寛容でない排外主義が日本のあちこちで目立つ中で、
民族の心をもって作り上げられた一つひとつの舞台と、その主人公たちをもっともっと大切にしたいと思います一つの舞台は、何物にも代えがたいものであること、このことを改めて共有したいと思います
 今回の舞台で、思う存分発表できなかった言葉を、歌を、舞いを、次の
19回の舞台で大いに表現し、みんなに披露してください。次回は、晴天まちがいないのですから……。



…………………………【報道記事】…………………………

【大阪コリアンの目−126/金光敏】=共に生きるトブロ サルダ=
東大阪国際交流フェスティバルの試み―多様性こそ地域の“宝物”―
 11月3日の祝日に東大阪国際交流フェスティバルが開催された。今年で18回目。さまざまな人々が参加し、ともに交流する地域のお祭りだ。近鉄布施駅前の三ノ瀬公園を会場に民族の歌や踊りが披露され、コリアや中国はもちろん、アジア、南米、そしてアフリカの料理が楽しめる出店が立ち並んだ。障がい者の手作り雑貨、地元産の野菜即売会なども盛り上げに一役買っていた。光栄なことに今年、司会を担当させていただき、素晴らしい一日を過ごすことができた。
 この取り組みが始まったのは1995年。東大阪市と言えば、ものづくりの街、また花園ラグビー場がありラガーマンたちの聖地としても知られる。一方、東大阪市は府内で大阪市に続いて2番目に外国人登録者数が多い都市だ。市内には1万7149人(2011年12月末日)の外国籍住民が暮らし、そのうち約73%が在日コリアン、そのあとを中国、ベトナム、フィリピン、ブラジルなどが続く。日本による朝鮮半島植民地支配に起因する在日コリアン、戦時下に中国に取り残され帰国してきた残留孤児及びその家族、戦乱のインドシナ半島を離れ避難してきた人々。その他にも結婚による渡日や労働力不足により迎え入れられた南米出身の日系人。もちろん、市内の大学に通う留学生。そして日本国籍に変えた外国につながる人たちも地域で生活者として暮らしている。
 東大阪市でのフェスティバルは、まさにこうした人々の存在に脚光をあて、共生のまちづくりをめざそうと始まった。このフェスティバルの開始にあたってやはり生活基盤が一定安定している在日コリアンの役割が大きくならざるを得なかった。だが、そのためには南北の葛藤を超えなければならなかった。日本人市民らの仲介で当時としては珍しい韓国民団や朝鮮総連の地域協力が実現した。地域では手を携えたいとする当事者たちの努力も大きかった。
 このフェスティバルでさらに注目すべきは、言葉や生活習慣のちがいにより孤独な日々を過ごしている外国人たちが、まるで故郷に帰ってきたかのように明るい表情で参加していたことだ。民族衣装に身を包み、出身国の舞や歌を披露してくれる。私とともに司会を務めた中国出身の大学生と、フィリピン出身の高校生も凛(りん)として清々しく、司会では母国の言語日本語を使いこなして進めてくれた。日本社会で外国人が自らの固有の民族性を育むことは容易なことではない。だが、ここでは外国人の持つ多様性こそが地域の“宝物”だとメッセージを発してくれている
 偏狭なナショナリズムや他者に非寛容な排他主義が最近目立つ日本社会。でも、そこからは何も生まれない。このフェスティバルが掲げるスローガンは「私の街はアジアの街、私の街は世界の街」。手づくりながらも、明日に向かう夢がある。「私の街」を語る東大阪市民の夢が見える。」【2013.11.8毎日新聞】