《第6回 東大阪国際交流フェスティバル》
  
  過去最高のにぎわい
布施三ノ瀬公園で国際交流の輪


 今年で6回目を迎えた「東大阪国際交流フェスティバル」も、実行委員会(23団体)の半年余りにわたる準備の努力が実り、過去最高のにぎわい(約9000人)で会場は終日、草の根の国際交流の輪がくり広げられた。
 今年もこの国際交流フェスティバルには、後援団体に東大阪市、同教育委員会、同自治協議会、同商工会議所が名を連ね、一方、昨年までの呼びかけ人(共同代表)6名に、新たにフスト・セグラ司祭(カトリックかわち共同宣教チーム)、荘嘉時(在日外国人・マイノリティ女性ネットワーク)の両名が加わり、8名体制になった。
 今年は、会場の三ノ瀬公園表側が下水道工事基地に使用されており、公園の奥まったスペースを使っての催しとなることから、今まで、近所の通行人や買い物帰りの市民でにぎわってきた国際交流フェスティバルだけに、スタッフそれぞれが不安を抱えての開催となった。
 事務局は準備段階から気を配り、今までの『市政だより』、電光掲示板、自治会回り、団体回り、布施駅南商店会、各報道機関への協力依頼と、ポスター・のぼり旗などに加えて、朝刊紙各社へのチラシ折り込み(15000枚)と、当日には飛行機による広報依頼にも踏みきり、当日配布用のパンフレットは例年通りの6000部を準備して当日を迎えた。
 また今年は前日に大雨にたたられたりというハプニングにも見舞われたが、スタッフ全員の協力で予定通りに、ステージ発表が11ヵ国・地域の28グループが出演、出店も9ヵ国・地域の38店が出そろっての開会となった。
 また早くも、東大阪市の『小学生向け副読本』(大阪書籍)に、この東大阪国際交流フェスティバルの写真を掲載するとのホットな朗報も入っている。
 以下、日韓問題を考える東大阪市民の会スタッフのレポート二本を紹介します。


《雨の谷間の快晴で、国際交流を深める》市民の会 西山 健一郎

【これまで最高の9000人の市民が参集
 6回目をむかえた東大阪国際交流フェスティバル。今回はこれまでと異なる大きな変化が…。
 それは、三ノ瀬公園の工事により、開催スペースが分離されざるを得ないという制約がおこったこと。さらに過去5回とも快晴5連勝を記録してきた天候が、事前の天気予報で「当日の午前のみ晴れ間、前日も翌日も雨」とのこと。つまり、集客や人の導入がうまくいかないのではという心配がつきまとったのです。
 各出店の配置も入口部分と舞台までの経路、そして、舞台周辺とバラバラで準備にみあう繁盛があるんやろか、本当に悩ましいことでした。
 きっちり?前日は、朝方までかなりの雨。市民の会の「おでん屋」さんの用意をして、早朝、公園に到着すると、メインの舞台周辺はドロの海。みんながグランド整備員のようにモップ・スコップ・トンボなどでドロ水をかき出すのに懸命です。見た瞬間、ほとんどの人は「こらアカン!」、そう思ったことでしょう。
 でも、口に出さず黙々と作業を進めます。そこに「この公園は、ドロでこないなったら、まぁ、2・3日はどうにもならんで」という近所のおばちゃんの冷たい声。それに重なっての市教組の林さんやその他の人々の作業を指示する声がします。
 そうか! 学校では運動会なんかで、こんなことは朝飯前、十分な経験者がいてるんや。妙に納得したところに、天の助けかだんだんとお陽さんの日差しが強まってきて、まるで絵に書いたようなシチュエーション。
 テント張りも終わり、時には何事もなかったように、毎年のオープニングの青い空をむかえることができた。それからは、ますます強くなる日差しの中で、これまでにも増しての人々の波です。
 今年は、少し奥まった所への舞台の設置も関連があったのか、舞台前の椅子は常時満員だったように思います。

【おでん屋さん千客万来
 ところで我が「おでん屋さん」へは、いつもに増しての訪問があり、千客万来です。
 「おでん屋さん」の後ろには十分な集客スペース。田村氏の友人たちの野球部の元気な若者たち? 労働組合の関係の方々。市の職員の方々。幅広く地域でそれぞれの課題に取り組んでいる人々。
 「あいつは誰?」「あの人は、○○さんの友だちの友人」など初めて顔をあわせた人も含めて、「美味しいおでん」と物々交換や、差し入れの「ベトナム春巻き」「チジミ」「焼肉」「水餃子」などなどをあてに、昔のことや家族のことなど、うれしい交流の場となりました。
 みんなが色々あっても元気で暮らしているのを感じられ、ホッとできる気分が最高です。むずかしい場ではなく、こんなお祭りの場の大切さを感じます(収益がいつもより少なかったのも、大盤振る舞いのせいか知らん)。
 もともと儲けにはこだわっていないので、これからは来てくれた友人や珍客には大サービスを約束します。是非、今年だめだった人は次の機会に訪れてください。
 最後にアオザイを着て「ベトナムの子どもたちの踊り・ムーノン」を踊り終えたビンミン・クラブの子どもたちの、ワイワイ、ガヤガヤの声の中から聞こえた言葉を紹介します。
 「…踊っているときは足が震えたけど、終わったらすごく気持ちがよかった…」。また、来年もやる気が出てきたようです……。
《三ノ瀬公園が一日、アジアの街、世界の街に》市民の会 井上 和男

 前日の雨も嘘のように、今年もフェスティバルは晴天に恵まれた。これまで1回も雨に遭わなかったのは偶然とはいえ、フェスティバルに取り組む人たちの熱意が天気を呼び込んだようでもある。
 当日の私の役割は、第一回目から、フェスティバル事務局のビール・酒類販売と、我が「市民の会」のおでん販売である。8時ごろ会場に到着し、先に到着し仕事を始めている加藤さん・西山さんと準備にかかる。
 昨年までと販売場所が変わり、客足を心配しながら、まずは用意した「ビール300円」「酒300円」の看板をつるし、次に「おでん4個300円、ちくわ・こんにゃく……」なる看板をつるす。
 ひと段落して、おでんを試食し、ついでにおでんの味が今日のビールにマッチするか試してみる。
 10時からの開会式を告げるアナウンスが流れる頃には、おでんの美味しそうな匂いに誘われた気の早いお客が数人おとずれる。いよいよ本番開始である。
 毎年、開会式と三つ目位までの舞台は、店の客が少ないので見ることができる。
 今年は、ベトナムの子どもたちによる踊り「ムーノン」が面白かった。大きな獅子とそれを操るぬいぐるみの坊さん(?)。元気いっぱいのわんぱく坊主が、鮮やかな黄色の獅子と真っ赤な坊さんのぬいぐるみをまとって、にぎやかな音楽に合せて舞台の下まで縦横無尽に踊りまわる。近くで写真をとろうとしていた私に、危うくぶつかるところだった。その後ろでは、美しい民族衣装を着た女の子たちが、ちょっと大人びた優雅な踊りを舞っていた。
 彼らは、舞台が終わった後、おでんを買いに来てくれた。着替えた後だったので最初はそれと気づかなかった。「ベトナムの踊り見てたで…」と声をかけたが、ぺちゃくちゃと話に夢中らしく無視された。友達同士で楽しそうだったが、フェスティバルに参加した感想などを聞きたかった。
 例年に比べて気温が低かったせいで、ビールの売れ行きは今ひとつ。
 昼頃、食事を兼ねて会場を一回りした。昨年と違い、公園のいくつかの通路に店が配置され、植え込みをはさんでいくつかの店の集まりができている。
 どこも人で溢れているが、通路ごとに出店の雰囲気を反映して、少しづつ雰囲気が違っているように感じた。店それぞれに売っている人や集まるお客が違い、店の前の一角は、それぞれの国の言葉が行き交い、ミニ「○○街」と呼んでもおかしくない。
 今年は、ベトナムのおかゆを食べた。中に色んな具が入っていて、少し肌寒かったのもあって、温かいおかゆは非常においしかった。
 ステージの盛り上がりに比べ、ビールの売れ行きは午後からも伸び悩み。それでも、3時ごろには、おでんが完売し、ビールもそれなりに売れた。
 その頃には、ステージの盛り上がりも最高潮に達し、ステージの音楽に合せて多くの参加者がステージの周りで踊り始めた。ビールとおでんの販売に一段落した我々も、気がついたらついついステージへ走って行き一緒に踊っていた。販売協力に熱心だったスタッフは、おでんの食べ過ぎか、ビールの飲み過ぎか、汗までかきながら踊りに夢中でした。
 フェスティバルが終わり、あと片付けに入る頃にはすっかり日も暮れ、人の少なくなった三ノ瀬公園は「祭りのあと」という表現がぴったりで、昼間の賑わいが嘘のようでどこかさびしい感じがする。
 でも、昼間のあの多種多様なエネルギーは、一年後へ向かって、もう動き始めているのかも知れません。
 今年参加した人々は、これから地域での様々な営みを通じてより多くの人とつながり、より大きなエネルギーでもって一年後に再会できることを楽しみにしています。
 多分、次回のフェスティバルは今年以上に、にぎやかで多彩なものになっていくことでしょう。