《NPO法人 東大阪国際共生ネットワーク総会》 
 記念講演会・丹羽雅雄弁護士
『日本の国際人権・共生施策の現状』
市民の会 編集部 


 地域における国際共生に向けた日常的な取り組みが今、一つひとつ実を結びつつあることを私たちはやっと実感できるようになってきました。しかし一方で、今春の国会に提出されている諸法案の審議をめぐる日本政府の国家主義・排外主義の危険な流れは、人種差別の助長や排外施策につながりかねないとの危惧の声が、各界各層から指摘されてきています。
 地域で働き、生活を共にする多くの外国人との国際共生社会を目指してネットワークを広げてきた私たちにとっても、今総会を時期に一つでも状況を整理しておく必要があるとの思いから、丹羽雅雄弁護士を講師にお招きし、
「日本の国際人権・共生施策の現状」と題した記念講演を開催しました。
 以下、講演内容の骨子を、丹羽雅雄弁護士の当日のレジュメをもとに紹介します。(本報告文の文責は編集部です

【はじめに】
 多民族・多文化共生社会の実現ということを皆さんと共に考えてきた立場から、外国籍者住民、民族的少数者の人たちの人権、共生をとり巻く歴史的、社会的、今日の場合は憲法的、国際人権法的状況について、現状、課題、あるべき共生社会に何をなすべきか。その辺りの骨格のところを話できたらと思います。
 「多民族」といえば、反対側に「単一民族」。「多文化」といえば「単一文化」。「共生」については、あえて言えば「単一民族・単一文化」を受け入れる人とだけ生きる。私たちは、違いを認め、尊重し合う。逆に、違いがあるからこそ社会に価値や豊かさがあると。その中で、お互いが持っている生活保障、人権、幸福を求め合おうということだと思うんですね。
 そこで、多民族・多文化共生社会の実現を阻害する要因はなにかということが、今日の主たるテーマなわけです。
 20世紀の戦争、飢餓、環境破壊という負の遺産を止揚し、21世紀こそは二度と戦争を起こさない、人権文化の開花した社会を創ろうと出発したはずが、2001年9月「同時多発攻撃とテロとの戦争」「アフガニスタン侵攻、イラク戦争」。日本では2002年8月に小泉首相が、侵略戦争で戦没した兵士を「英霊」として奉る靖国神社に参拝し、自衛隊を海外に派兵している。また共和国が「拉致問題」を公式に認め、在日朝鮮人の子どもたちが差別的暴力・迫害事件に遭う。そして、自民党を中心にした「改憲」議論、連動した「教育基本法」改定の動き。また従来の出入国管理体制を質的に大きく変える第1弾として、2006年5月の「出入国管理及び難民認定法」の第1段階の改定などの構造があるわけです。
 「戦争は最大の人権侵害である」「人権保障と平和は両輪である」という理念は第2次世界大戦の痛苦な歴史の中で生まれた国際的な規範で、それが「国際人権法」という法規範として生まれてきます。「人権の尊重」「差別させない、しない」という非差別平等原則が国際的な平和の基礎になっているにもかかわらずですね。

【憲法「平和主義」の原点】
 1945年8月にポツダム宣言を受諾。カイロ宣言では、日本に対して「植民地支配した民族、とりわけ朝鮮人を解放する国際法上の義務」が明記され、戦後責任が生まれていく。そして、平和主義・人権尊重・主権在民という理念は国際社会の規範としてあり、とりわけ平和主義は、日本国家と日本民衆の意思であるとともに、アジア民衆の意思でもあったわけです。残念ながらポツダム宣言以降、現在まで、戦争責任、戦後責任は懈怠され続けてきたと言わざるを得ませんが。

【平和憲法理念を空洞化させた主な要因】
 一つは、米国の対日占領政策と天皇制の存置ということがあり、避雷針的な憲法九条となったこと。一方で、植民地出身者については1952年4月19日の一片の「通達」行政によって、1952年サンフランシスコ講和条約発効以降、「すべて外国籍」という形で日本国籍を喪失させて、出入国管理法制の中に押し込んでいく。そして戦後賠償・補償については、賠償責任ではなくて経済進出の呼び水、経済援助として日本政府は利用してきた。その典型が1965年の日韓条約です。
 国内では「戸籍条項」「国籍条項」のもとで援護法を制定し、旧軍人・軍属への「恩給」に年間一兆円を捻出している。一方で、沖縄を日本国憲法からの切り捨て、「日本軍に協力」という名目で援護法だけは適用しながら、あくまで植民地出身者には戦後の法体系から除外する方針を省みようともしていない。そして日本総体は、経済優先主義と国民(血統)優先主義をひた走ることになっていきます。

【憲法九条と日米安保体制・有事法制】
 平和主義、人権尊重主義の空洞化の中で、もう一つの大きな柱が実は日米安保体制です。大きく変わったのが、1991年の湾岸戦争以降ですね。掃海艇がペルシャ湾に行き、130万ドルの援助を行う。そして96年には日米安保共同宣言が出され、初めてアジア・太平洋地域の平和と安定ということが出てくる。「六条安保」というのがあって、沖縄に75%の米軍がいて、「極東の平和と安定」のために日本政府が米軍に便宜を供与するということになるんです。その合意によって、99年に「周辺事態法」ができてアフガニスタンからイラクへ。イラク派兵では初めて自衛隊が、海上から陸上にあがる。そして武力攻撃事態法などの「有事関連三法案」が成立して、さらに法拡大がなされ国民総動員体制への法的、制度的な整備が着々と進んでいる。今や第3次ガイドラインによる集団自衛権、全世界に先制攻撃戦略を展開できる米軍の同盟軍として、座間に軍団司令部を置き、日米共同作戦を展開するというところまできています。

【戦争可能国家体制の構築と国内法構造の質的転換】
■憲法改定と教育基本法の改定

 まず
「立憲主義」という規範の確認が必要で、近代憲法は国家をしばるものとしてあるといのが立憲主義の基本なんですね。ところが、「国民として、こうあらねばならない」という逆の論議が進められている危険性を感じざるを得ない。
 特に、自民党は改憲論で一貫しており、「歴史、伝統、文化に根ざしたわが国の固有の価値が占領下において置き去りにされた」として、「憲法が国民の行為規範として機能し、国民の精神に与える影響も考慮。国民の憲法尊重、擁護義務を含めることも議論する」としている。
 私たちが注意しておかなければならないのは、「立憲主義」を解体させてはならないということです。そして「9条」問題では、「戦力保持を明記。個別的・集団的自衛権の行使に関する規定を盛り込む」としていること。また「国民」か、「すべての人々」かの問題も注視しておく必要があります。
 
教育基本法の改定論議においても、「こころ」の問題にまで「こうあらねばならない」という段階にまできている。学校には多民族、多文化の子どもたちがいます。「国を愛する態度」を教育して、それを評価する。いったいどうするんでしょうね。まさに公民化教育でしょうか。
 また
現憲法の中には、あらゆるところで「公共の福祉」という概念が出てきます。これは人権と人権がぶつかった時に、それを調停する原理として規定されてきたものです。ところが、今の自民党案などではこの概念を破棄して、「公益」の概念を持ち出している。「公の秩序のためには人権を制約できる」ということで、有事法、国民総動員法につながるものでもある。これらは決定的に違うんです。

■人権への規制と治安監視・管理法体制
 人権に規制を加えるということと同時に、国内全体に
治安監視・管理法体制を強めてきている。
 その第1として、組織的犯罪対策法の99年
「盗聴法」、06年「共謀罪」上程となるわけです。「共謀罪」では、「話し合うこと」を処罰するという。いま国会に出ているものでは615種類。現行法では「未遂」の前に「予備」というのがあるが、限定的で30種類ほどしかない。その「予備」の前の話し合いが、「共謀」です。
 「共謀罪」の怖さは、必ず密告者か、盗聴か、自警団がいる。「共に生きる」「信頼し合う」ではなく、「疑う」になる。「管理」から「監視」になるんですね。これが通ると弁護士は大変になる。「通報」する義務を課せられるんだから、信頼して相談もできない。

■新たな出入国管理体制の構築
 2004年「テロの未然防止に関する行動計画」として、指紋、顔情報の採取などの入国審査の強化論が。また05年
「出入国管理業務の見直し」「入国管理施策への提言」で、外国人の指紋情報の義務化、日本人も含めた指紋情報搭載の「IC出入国カード」に拡大。外国人登録制度の抜本的見直しとして、氏名、国籍、就労先、通学先などの「IC在留カード(仮称)」による管理強化に動き出す。
 2006年5月の
改正では、一般永住の人もすべて入国時に指紋・顔写真などの情報提供を義務付けた。この情報はどこに行くか、目的外利用ですね。行政が保有する「個人情報保護法」と、民間の企業体が保有する「個人情報保護法」と二つの法律があって、法務大臣が例外にできる。ここでも「公益」が出てきます。
 それからもう一つは、「退去強制」規定があります。内容は、法務大臣が、警察庁、公安調査庁、海上保安庁の長官に意見を聞き、「その犯罪行為の実行を容易にする行為を行うおそれがあると認めるに足りる相当の理由がある者」を退去強制するという極めて曖昧なものになっている。これが「テロリスト」認定の基準です。
 また、利便性を名目にした「自動化ゲート」の導入で、特別永住者、日本人も含む膨大な個人識別情報が長期間保管され、巨大な治安監視国家化へとつき進む危険性もあります。一方では、外国人を「テロリスト」「犯罪者」とする人種主義、人種差別、外国人嫌悪を助長し、扇動にもつながりかねない危険性を含んでおり、
「憲法」や「国際人権規約」にも抵触する重大な人権侵害であります。

■国際人権法の発展と外国人・民族的少数者の人権
 戦後、国連ができて、
「世界人権宣言」が出され、それを法的な拘束力を持つものとして社会権規約、人権規約ができていきます。それが国際人権条約として、現在27あります。そのうち日本が批准または加入している条約は12です。批准または加入しますと、国際人権条約は憲法、条約、法律、政令よりも上位になります。
 これらの条約の中で、特に外国籍住民に関するもので、委員会の日本政府への各条約に対する「勧告」がいくつも出されております。1998年以降、日本政府が報告を提出し、規約人権委員会や、差別撤廃委員会が審査をして、逆に日本政府に対していろんな意見を述べます。それは、「懸念」とか「勧告」という形で出されるのです。
 例えば、2001年に社会権規約委員会は、「差別の禁止原則は絶対的な原則であり、客観的な基準に基づく区別でない限り、いかなる例外の対象ともなりえない」と厳しく指摘しています。また戦後補償についても「朝鮮半島や台湾出身者で、旧日本軍に従軍したが現在は日本国籍を有していない者が、恩給等において差別されている」として、外登証の常時携帯義務でも「廃止せよ」と勧告していますね。
 日本政府は、再入国の権利、在日コリアンの居住権、民族名を名のる権利、マイノリティの地位と権利、民族教育を受ける権利、マイノリティの情報提供、人種差別の助長・扇動、政府から独立した国内人権機関の設置、人種差別禁止法、人権教育の実施など、多岐にわたり勧告や指摘を受けています。特に「マイノリティの文化・言葉など、固有の権利を保障しなければならない」という点は、特に重要です。
 こうした
「勧告」「指摘」を、日本政府中央だけではなく、地域社会で実践していくことが重要ですよね。行政もまき込んで、地域から共生のシステムを創っていく。これが重要な課題になってきています。

■ルーズ・ドウェン国連特別報告者の報告書と勧告(2006年1月24日)
 私は日弁連の代表として、東京でプレゼンテーションに行いましたが、いろんな団体がプレゼンテーションをしています。ドウェン氏は昨年、日本に来られました。特にこの特別報告の内容は、「人種主義、人種差別、外国人嫌悪」のあらゆる形態の差別について、日本政府との調整を経て、実態調査をして、報告書が作られる。その中の「勧告文」を紹介します。この人の特色は、歴史的、社会的に、例えば部落の人たち、アイヌの人たち、沖縄の人たち、朝鮮半島出身者、移住労働者を捉えて、「勧告」を出していることです。
 
「勧告書」の冒頭には、「日本政府は、もっと高いレベルで日本社会に人種差別、外国人嫌悪が存在することを、正式かつ公的に認めるべきである」としている。
 続いて、「公務員による差別的発言への対応」「差別禁止・処罰法の制定」「差別的身元調査の禁止/ILO111号条約の批准」「国内人権機関のあり方」「人種差別と闘う行動計画」「不法滞在者通報制度の廃止」「歴史教科書の見直し」「マイノリティ集団との協議」「文化促進プログラム」「先住民族としての権利保障」「マイノリティの政治的代表の確保」「アイヌ民族メディアの創設」「沖縄の米軍基地に関する検討」「朝鮮学校への差別的処遇の廃止」「在日コリアンの子どもたちへの人種主義的暴力への対応」「無年金在日コリアンの救済措置」「マイノリティに関する番組の促進」「外国人差別の根絶」「文化を通じた外国人への偏見との闘い」「マイノリティ集団内の女性の権利の保障」「被差別集団の相互連帯」などが羅列されています。
 そして、日本政府に対してストレートに改善を勧告してます。この「勧告」は、今国連に付託されており、日本政府は回答しなければなりません。

【まとめとして】
 
戦争可能国家体制と連動した治安監視・管理法制の強化が今、急速に展開されています。そして憲法改正教育基本法改正共謀罪も含む、質的な法体系の改造が進んでいます。
 私たちは今、「治安監視・管理法制」から
「平和・人権・反差別・反監視・共生への法制」にいかに転換させるかが問われています。制度は意識を規定し、意識は制度を変えるわけで、連動しています。第2次世界大戦に続く第3の国家改造に対して、マイノリティーのネットワークと人権法制を求める広汎な運動を対置する必要があります。
 
日弁連としても「多民族・多文化が共生する社会の構築と、外国人・民族的少数者の人権基本法の制定を求める宣言」を、弁護士会の人権大会で初めて出しました。2万人の弁護士は、この宣言に拘束されています。
 日本政府が極めて危険な方向に向かおうとしている現在、私は地域にこそエネルギーがあると思っています。地域から人権・共生の社会を創りあげるネットワークを広げていきましょう。