《レポート/靖国神社公式参拝問題》 
 許すな戦争国家日本、
アジアから平和の確立を 
市民の会 井上 和男 

 昨年8月10日、「アジア民衆とともに8・15を問う! 小泉靖国参拝を許さない大阪集会」が、ヨンデネット大阪8月行動実行委員会、大阪平和人権センターの共催で行われた。
 集会は、評論家の森田実氏による「小泉政治批判―8・15と靖国―」と、大阪市立大学教授・朴一氏による「アジアに対する戦争責任と靖国」の講演、そして台湾から来日中の小泉首相靖国参拝違憲アジア訴訟団原告団長・チワス アリさん(台湾原住民タイヤル族出身の立法委員)のアピールを柱に行われた。
 講演とアピールを通じて、国内外の様々な抗議の声を無視して靖国参拝を強行してきた小泉政権に対する強い抗議を集中するとともに、間近に迫った8月15日の小泉靖国参拝を許さない決意を参加者全員で確認し合う場となった。
 特に、国外からの批判に「内政干渉」と反発する風潮に対して、「植民地下で強制的に徴兵された朝鮮人が、2万人以上も遺族の意思とは無関係に、なぜ靖国神社に「英霊」として祭られなければならないのか!!」「なぜ、日本の植民地支配と弾圧の加害者として戦死した日本人と、日本による植民地支配の被害者である朝鮮人・台湾人が同格の「護国の神」として合祀されているのか!! こんな屈辱的なことが許されるのか!!」という痛烈な訴えがなされていった。
 残念ながら8月15日には、小泉前首相の靖国参拝の強行を阻止することはできなかった。そして、政権は安部首相にひき継がれ、「教育基本法」の改悪など、政権の目指す国のこれからの在り様が、また一歩「靖国神社」に体現される戦争のできる国家体制に近づいて来ているような気がしてならない。
 そして今年も、何らかの形で安部首相の「靖国参拝」問題が浮上してくることは想像に難くない。

 私たちにとっても、「靖国問題」は避けて通れない問題です。昨年の8・15から少し時間が経たけれど、昨年の集会も振返りながら、今一度「靖国問題」「靖国参拝」について整理し、「靖国問題」に対するアジア民衆との共通した地平を考えてみたい。
【なお、問題の整理に当っては、
高橋哲哉『靖国問題』(ちくま新書)を参考にさせてもらった。】

【侵略戦争に向けた靖国神社の役割】
 靖国神社は、1869年(明治2年)東京招魂社として創建され、1879年に靖国神社と社号を変更された。創建以来、近代日本国家が係わったあらゆる戦争の戦死者約250万柱が合祀されている(その大半は、太平洋戦争での戦死であるが)。
 靖国神社は、単に戦死者を祭るだけでなく、それを通じて、明治以降の近代日本が植民地主義を遂行し、侵略戦争を繰り返していく上で、なくてはならない役割を果たしてきた。まず、靖国神社が果たしてきた役割、必要とされた理由を、幾つかの角度から整理してみる。
 第一に、靖国神社は死者を「追悼」するための、「追悼」を意図して作られた施設はではないということである。
 靖国神社は、天皇(明治天皇)の勅命により、「お天使さま」すなわち「お国」=天皇を神とする「天皇の神社」として創建された。そして、お国=天皇のために戦って死んだ者を、天皇の命により「顕彰」し(褒め称え)、「英霊」として祭っている。新たな戦死者を祭るための臨時大祭には、全国から遺族が招待され天皇自らが祭主として臨席し盛大に行われた。
 このような形で靖国神社は、(侵略戦争で尊い命を落とした)戦死者と悲しみくれる遺族に最大の栄誉を与えた。それは「教育勅語」に代表される天皇制(天皇崇拝)教育とあいまって、遺族の悲しみを喜びへ、不安を幸福へ変えるに十分な効果を発揮してきた。
 そして何よりも、このような靖国神社の存在が国民に広まることにより、「お国(天皇)のために命を捧げようと希望する」という国民感情を養っていった。
 まさに靖国神社の役割は、侵略戦争に向かわせる国民感情を作るという、大きな役割を果たしてきた。それは、近代日本が次から次へと戦争を続けるためには、なくてはならない「装置」であった。
 高橋氏は、これを靖国神社に係る「感情」の問題として、靖国信仰の作り出す「感情の錬金術」と表現し、次のように述べている。
 国家は、戦争に動員して死に追いやった兵士たちへの「悲しみ」や「悼み」によってではなく、次の戦争への準備のために、彼らに続いて「お国のために死ぬこと」を名誉と考え、進んで自らを犠牲にする精神を調達するために、戦死者を顕彰するのだ。
 靖国信仰は、戦場における死の悲惨さ、おぞましさを徹底的に隠蔽し、それを聖なる世界へ昇華すると同時に、戦死者の遺族の悲しみ、むなしさ、わりきれなさにつけこんで「名誉の戦死」という強力な意義づけを提供し、人々の感情を収奪していく。

【合祀対象は天皇のための聖戦死亡者】
 次に、靖国神社がどのような人間を祭っているかを見ながら、靖国神社の政治的な側面を整理してみる。
 靖国神社の合祀対象は、一言で言えば「天皇のために戦い、命を落とした兵士」である。靖国神社に祭られているほとんどは太平洋戦争中の日本の戦死者であり、軍人・軍属だけである。そこには、この何倍にもおよぶ、日本を始めアジア各国の一般市民の姿はない。もちろん、日本軍が戦った外国人の戦死者も対象となってない。
 「お国(天皇)のため」という政治的意図により選別されたものだけが、「天皇の命」により合祀されているのである。すなわち明治以来、日本が朝鮮・台湾をはじめアジアの国々を侵略・植民地化するための「植民地獲得と抵抗運動弾圧のための日本軍の戦争」を全て聖戦として、そこで死亡した日本軍の指揮官・兵士を(軍隊の階級に関係なく平等に!)「英霊」として「顕彰」し祭っている。
 靖国神社の合祀対象の論理から、靖国神社は、太平洋戦争時、植民地である朝鮮・台湾から徴兵した朝鮮人・台湾人の戦死者をも、「お国(天皇)のために死んだのだから」と「英霊」として合祀している。かつて朝鮮・台湾を植民地化する過程で支配し弾圧した加害者と、その日本人の植民地支配の被害者が全く同格に合祀されているのである。これは、朝鮮・台湾の遺族にとってはあまりにも屈辱的で許すことできないことである。
 また、日本人であっても、「天皇のため」ではない戦没者、例えば、明治維新で官軍に反旗を翻し戦死した合津藩士(白虎隊など)等は合祀の対象とされてない。
 このように、靖国神社は国策遂行のために創建された天皇の神社であり、日本が植民地主義に突っ走る中で、それを正当化し推し進める役割を担ってきた。
 靖国神社は、その役割を遂行するために必要な戦没者だけを合祀対象としているのである。

 靖国神社に関わって、A級戦犯合祀問題があるが、高橋氏は「A級戦犯合祀問題は靖国神社に関わる歴史問題の一部に過ぎず、本来、日本近代を貫く植民地主義全体との関係こそ問われるべきだ」と主張している。

 戦前の靖国神社の必要性・役割を、非常に荒っぽいけれど整理してみた。次に、戦後にも目を向けて考えてみる。

【戦後も変わらぬ教義「天皇の神社」と政教分離を踏みにじる公式参拝】
 靖国神社はその役割からして、日本の敗戦にともない解体されるべきであった。しかしながら、陸軍省・海軍省所管の国家機関から一宗教法人となっただけで、創建当初からの「天皇の神社」という教義を変更することなく、明治以来果たしてきた犯罪的な役割を反省することもないまま、今日まで宗教法人として存在し続けている。
 そして「信教の自由」という枠の下で、歴代宮司は太平洋戦争をはじめ、これまでの侵略戦争すべてを
「聖戦」と称し、東京裁判を認めないと言ってはばからない。
 しかしながら「政教分離の原則」の下で、政治とは一切関係ない形で運営されるべき靖国神社が、戦後も合祀する名簿を日本政府が提供するなど、様々な形で支援関係を持ち続けている。
 歴代首相は公式参拝を繰り返し、小泉前首相にいたっては、靖国神社こそ日本の戦没者追悼の中心施設であると考える人の声をバックに、「今日の日本があるのは、靖国神社に祭られている尊い命があればこそだ……」「戦没者にお参りするのが、宗教活動と言われればそうだが、靖国神社に参拝することが憲法違反だとは思わない。宗教活動だから良いとか、悪いとかということではない」と言って、公式参拝を強行している。
 靖国神社が戦前に果たしてきた役割・歴史を認識し、宗教法人となってもその本質は一切変わりのない現状を見れば、首相の公式参拝は決して許されるものでない。
 公式参拝に対しては、「政教分離の原則(憲法第20条)」違反だとする違憲訴訟が全国各地で起こされている。憲法判断を回避した判決が多い中で、福岡地裁は明確に「違憲」判断を下している(2004年4月7日)。そして何よりも、
これまでの裁判において「合憲」と判断されたものは一つもない
 このような憲法上の問題を考慮して、靖国神社の特殊法人化など、非宗教化することで問題を解決しようとする動きも出ている。靖国参拝を「宗教心からではなく、ただ尊い命をなくされた方を思う気持ちで……」と、いかにも日本人の尊重すべき道であるかのように倫理面を強調し、国民が憲法上にもわだかまりなく参拝できるようにしたいとの意図からである。

【靖国神社「無宗教」のまやかし】
 ここで靖国神社の宗教性について、少し整理しておきたい。戦前、靖国神社は国家機関であり、その司る神社神道は「国家の祭祀」であり、従って宗教ではないとして、仏教、キリスト教、教派神道等の「宗教」と区別していた。すなわち、祭教分離が図られていた。
 明治政府は、どの「宗教」を信じることも自由との一定の「宗教の自由」を与えつつ、日本国民であれば、 国家の祭祀である靖国神社の祭祀儀礼を受け入れなければならないと「祭政一致」を唱えた。
 この政策の下で、後に仏教界や、キリスト教界の多くが靖国神社を参拝を実施するにいたり、日本の植民地主義に加担する結果となった。
 このような歴史を、高橋氏は次のように表現している
 靖国神社は戦前・戦中、その本来の姿において「無宗教の国立戦没者追悼施設」を装う「宗教的な国立戦没者顕彰施設」であったのだ。
 非宗教化論は、このような靖国神社の歴史を考えれば余りにも無自覚な論であり、かつての「神社非宗教」として「国家神道」が浸透していった道に逆戻りするものである。

 靖国神社の非宗教化については、靖国神社自身がこれまでの伝統的な儀式・祭祀を放棄することは考えられず、また信教の自由の下で、政府がそれを強要することもできない現状では、非常に困難な話である。しかし、このような話が度々国レベルで取上げられたのは事実であり、その背景に靖国神社に対する考え方の一端がみえる。
 少し古い話だが、1978年、福田首相が靖国神社を参拝したとき、当時の官房長官だった安部晋太郎氏の発言を紹介しておく。
 「私は、靖国神社が神道であるとか神道でないとかいうことではなく、私にとりましては、いわば宗教を超えた、これはわれわれと一緒に戦った多くの同胞の英霊が祭られておる社である、こういうことで、いわば自分が仏教を信じているとか、あるいは神道を信じているとかいうことを超えた立場で、靖国神社に対しては非常に崇敬の心で参拝を続けておるわけです。」(衆議院内閣委員会、1978年8月16日)

 このように、現在における靖国神社への参拝を、倫理面から正当化するのみならず、靖国は「日本の文化」であり、そこへの参拝は「日本独特の伝統」であるとして、文化面から正当化する論議がよく聞かれる。
 この点に関して高橋氏は、江藤淳氏が「元来、日本人は生者の視点と同時に死者の視点を合わせ持つ……。古来より受け継がれた、伝統的な「死者との共生感」を靖国は体現している……」と主張する「生者の視線と死者の視線」なる論考をとりあげ、次のように論破している。
 そもそも日本に、死者との関係においての一義的な伝統などは存在しない。靖国における死者との関係は、天皇の軍隊の戦死者という特殊な死者との関係であり、国家の政治的意志によって作り上げられたものであり、決して「文化」といえるものではない。靖国問題への文化的アプローチは原理的限界もっている。
 靖国神社境内の片隅には、1965年、世界各国の戦死者や戦争で亡くなった霊を祭るとして「鎮霊社」なるものが作られている。これもって「文化」面から擁護する論もあるようだが、「鎮霊社」の霊は本殿に合祀している祭神とは別格扱いであり、靖国神社が国家の政治的意思で選ばれた戦死者だけを祭るという本質は変わっていない。

 靖国神社の歴史的犯罪性、現状での靖国神社擁護論の限界を不十分ながら整理してきた。

【新たな追悼施設を「第二の靖国」にさせないために】
 数々の問題をはらんでいる靖国問題の解決策として、靖国神社とは別に国立の追悼施設建設が国レベルで検討されている。(追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会2002年12月24日報告書)
 最後に、この点について整理してみたい。
 提案されている施設は、「内外の人がわだかまりなく追悼できる施設」として、無宗教で軍人・軍属だけではなく一般市民も、そして国籍に関係なく戦死者を追悼するとされている。このように靖国神社とは異なる施設として提案されているが、A級戦犯合祀の問題や戦争責任の問題をあいまいにしているなど、問題点の多い内容である。それよりも、なぜこのような提案がなされ、新たな追悼施設が必要とされるのかに注目したい。
 この報告書には、追悼対象として、大きく次のように挙げている。
@明治維新以降、日本の係わった戦争における死没者
A戦後、日本の平和と独立を守り、国の安全を保つための活動や日本の関わる国際平和のための活動における死没者
 その一方で、日本は憲法で不戦を誓っている国であるから戦争をすることはありえないとして、こうも言っている。
 日本の平和と独立を害したり、国際平和の理念に違背する行為をした者の中に死没者が出ても、この施設の追悼対象とはならない。
 ここに謳われているのは、次のようになるのではないか。
 戦後、日本は不戦を誓っているのだから、日本人の死没者は「日本の平和と独立を守り、国の安全を保つため」あるいは「日本の行う国際平和のため」など、(正しい)武力行使による死没者であり、追悼対象であるが、外国人の死没者は「日本の平和と独立を害し、国際平和の理念に違背する」ような、正しくない武力行使の死没者であり追悼対象ではない。
 高橋氏は、次のように分析し、提案されているような国立追悼施設は、「第二の靖国」になってしまうと指摘する。
 新たな国立追悼施設では、このようにして、戦後の日本人死没者への公的「追悼」は、当然「尊い犠牲」に対する「感謝と敬意」に近づいていく。この論理は、日本軍の戦争を常に聖戦とし、その戦死者のみを顕彰してきた靖国の論理と瓜二つである。
 更に、高橋氏は、
 国家が「国のために」戦死者を「追悼」しようとする時、軍事力を持ち、戦争や武力行使をおこなう可能性が予想される国家である限り、そこには常に「尊い犠牲」「感謝と尊敬」のレトリックが作動し、「追悼」は「顕彰」になっていかざるを得ないのである。
 そして新たな追悼施設において「追悼」が「顕彰」にならないためには、
◎国家が「不戦の誓い」を現実化して、戦争に備える軍事力を実質的に廃棄すること。
◎(「不戦の誓い」が説得力を持つために)「過去の戦争」についての国家責任をきちんと果たすこと。
 これらが必要最低限の条件であると述べている。

 イラクへの自衛隊の派遣、国際平和維持活動が自衛隊の本来業務へ格上げされるなど、日本はますます戦争や武力行使の可能性が鮮明な国へと近づきつつある。イラクに派遣された自衛隊からは、死没者は出なかったが、可能性はゼロではない。
 イラクへの武力行使(戦争)を、国際平和のために必要な「正しい」ものだと決めつけて、自衛隊を海外に派遣。そして次もまた、自衛隊の海外派遣は、政府が「正しい」と判断した海外派遣となるのである。もしも犠牲者が出れば、「正しい」武力行使の犠牲者として「顕彰」されるのであり、政府は「顕彰」しなければ、この路線を推し進めることができないのである。
 今、憲法改正を政治目標に掲げる安部政権は、日本を更に戦争可能な国に向かわせることを画策している。このような状況で提案される新たな追悼施設が、「第二の靖国」となるであろうことは容易に推測される。と同時に、このような状況だからこそ、今後、施設の必要性が提案さてくるであろうことは十分に予想されるのである。
 これからも、アジア民衆とともに靖国を問い、公式参拝に歯止めをかけながら、新たな追悼施設の内容にも注視していくことを訴えて、本レポートを終えたい。